2017
06.18

出雲(秦一族)の高層神殿

Topic, 日本史

 当時、出雲の国には高さ120mもの高層神殿が建てられた。
秦一族はアヌンナキの血を濃く受け継ぐ一族で、
エジプトからイスラエル、ペルシャ、中国を経て日本へやってきた。


諏訪大社(すわたいしゃ)で行われるイスラエルの祭りが伝わる

 長野県の諏訪湖周辺4ヶ所にある諏訪大社(すわたいしゃ)には、秦氏によってイスラエルからの文化が伝わっている。諏訪大社は全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。

 諏訪(すわ)大社の十間廊(じっけんろう)は古代イスラエルの幕屋と、入口と本殿の方角が同じであり、また幕屋と十間廊(じっけんろう)の大きさはほぼ同じである。

 日本の一間(いっけん)174cmの長さのもとが、古代イスラエルの1キュビト=44cmから来ている。

 また長野県諏訪(すわ)地方で行われる祭で、諏訪大社の最大の神事で7年に一度行われる御柱際(おんばしらさい:正式には式年造営御柱大祭)は、長さ17m、重さ10トンの御柱を、氏子(うじこ)と共に傾斜約30度、距離80mの木落し坂から落とす。
 御柱際は大木を山中から切り出し社殿まで運ぶ祭りである。
 この御柱祭と同じことが聖書に記されている。旧約聖書に記されたソロモン神殿建設に関する描写は次の通りである。紀元前10世紀頃、古代イスラエル(イスラエル王国)の第三代王に就いたソロモンは、父ダビデの意志を継ぎ、エルサレムのモリヤの丘に神殿建設を決める。
 ソロモンは港湾都市ティルス(現レバノン)の王フラムに、小麦とオリーブオイルなどを与える代わりに神殿建設に必要なレバノン杉やモミの木を山から切り出させてほしいと頼む。
 フラムは承諾し、山から切り出したレバノン杉とモミの木を港まで降ろし、筏(いかだ)に載せて海路エルサレムのモリヤの丘まで運んだ。
このレバノンでの作業にはイスラエル全土から強制的に労働者が徴募(ちょうぼ)され、三万人が三交替で従事した。そして、それらの木材は、神殿の床や壁、拝殿の入口の扉などに使われた。
 神殿の大きさは、長さ約27メートル、幅約9メートル、高さ約13.5メートル(1キュビト45センチで計算)であった。その神殿の中に拝殿と至聖所を設け、至聖所には十戒の石版が収められていた「契約の箱」と、高さ4.5メートル、両翼の長さ4.5メートルのオリーブの木で造ったケルビムという天使像二体を安置した。ソロモン神殿は7年目に完成した。

 御柱祭(おんばしらさい)は木の柱が崇拝され神様として扱われているが、古代イスラエルでも木には神が宿るとされていた。
 そのイスラエルの神の名は女神アシラで、日本の柱(はしら)という言葉は、古代イスラエルのアシラからきている。
 女神アシラはニビルのイナンナであり、シリア、パレスチナではアーシラトと呼ばれ、メソポタミアではイシュタル、日本では遮光器土偶のアラハバキ、白山姫を神とした邪馬台国の神でもある。

 さらに諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)は、鹿の頭75頭分を神に捧げる祭りである。明治以前の御頭祭(おんとうさい)は全く違う形で行われていた。明治以前は8歳くらいの子供を柱に縛りつけ生贄(いけにえ)にし、神官が子供に刃物を振り上げる。
 次の瞬間、別の神官が現れ子供を解放する。そして子供の代わりに、鹿の頭75頭分を身代わりに捧げるものだった。この内容は聖書の創世記の第22章のアブラハムとイサクの伝承にも存在する。アブラハムは息子イサクを丘へ連れて行き、生贄にしようとした。すると神の使いが現れてアブラハムを止める。そして息子の身代わりに羊を捧げた。この物語の舞台となったのはモリヤという地であった。
 モリヤは現在のエルサレムの中心地で聖地である。諏訪大社の神体山(しんたいさん)も守屋山(もりやさん)という。



 そして諏訪湖(すわこ)で行われる神事の最大は、諏訪湖の氷が轟音とともに裂け、延々と亀裂が入る現象の御神渡り(おみわたり)である。
御神渡りは冬季の寒冷地で、湖面に一部盛り上がった氷堤(ひょうてい)が見られる現象である。
 諏訪大社の神が湖の上を歩いた跡と言われている。
 これと同じ内容が聖書にもある。
 ガリラヤ湖を船で渡る弟子たちのもとに、イエス・キリストが水の上を歩いてきた。ただ当時のガリラヤ湖は凍っており、キリストは氷の上を歩いた。つまり諏訪の地は聖書の記述を祭りとして残した場所であった。

 こういった諏訪大社の祭りは、ミシャグジ信仰と関係がある。ミシャグジは日本古来の神である。ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。ミシャグジを祀っていた神社では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。
 1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る。
 ミシャグジ信仰にはもう一つ注目すべき点がある。縄文の影響が強く見られることである。ミシャグジ神が降りてくるといわれる大木に置かれる祠(ほこら)には、御神体として石棒や石皿が置かれている場合が多い。神長官守矢氏に祀られる「御頭御左口神(ミシャグジ神)」の御神体も石棒である。巨石にもミシャグジが降りてくるとも考えられるが、ここで祀られている石棒や石皿は男根や女性器を表している。
 これらのものが豊穣をもたらしてくれるものとして、住まいやその周辺に祀るのは古く縄文時代から行われていたことである。
 御柱祭(おんばしらさい)では、柱を乗りこなした男が英雄とされるので、柱がイナンナの暗示で、この祭りが行われる安曇(あずみ)はアド、つまりドゥムジの暗示で、イナンナとドゥムジの聖なる結婚である。柱に男衆(おとこしゅう)が群がって乗っているのは、女神イナンナに乗っていること、つまり性行為を表している。
 この祭りはユダヤに関係するものではなく、シュメール由来である。
そ してイスラエルでは、ソロモン神殿がアブラハムが息子イサクを神に捧げようとした「アブラハムの岩」の上に建設されたが、これらの伝承が後に日本の長野県の諏訪大社で行われる御頭祭(おんとうさい:イサク奉献伝承)と御柱祭(おんばしらさい:ソロモンによる神殿建設)となる。
それがフェニキアから伝わった。
諏訪大社~日本のルーツは古代イスラエル
イスラエル10支族より伝わった日本の歌
 正確な年代は不明だが、イスラエルやフェニキアより日本へやって来た10支族が、現代の日本人にも馴染みのある伝統的な歌をもたらす。
 君が代、さくらさくら、かごめかごめ、ソーラン節(カタカナ部分の歌詞)は、ヘブライ語でも意味が理解できる。
 日本語とヘブライ語では、発音が似ている単語が多い。

●君が代
君が代は ⇒ クムガヨワ(立ち上がれ!)
千代に 八千代に ⇒ テヨニ ヤ・チヨニ(神の選民 シオンの民!)
細石の ⇒ サッ・サリード(喜べ・人類を救う、残りの民として)
巌となりて ⇒ イワ・オト・ナリァタ(神の予言が成就する!)
苔の生すまで ⇒ コ(ル)カノ・ムーシュマッテ(全地あまねく 宣べ伝えよ!)

●さくらさくら
さくら さくら ⇒ SKR SKR(隠れた 隠れた)
やよいの空は ⇒ YYH YN SRH(唯一の神が迫害され、耐えて)
見わたす限り ⇒ MWT KGR(犠牲として死に、)
かすみか雲か ⇒ KSM KMK(くじ引きにされ、取り上げられた)
匂いぞ出ずる ⇒ NOH YZR(素晴らしい神の計画)
いざや いざや ⇒ YZY YZY(神の救い 神の救い)
見にゆかん ⇒ MN YK(捧げ物を決めた)

●かごめかごめ
かごめかごめ ⇒ カゴ・メー カゴ・メー(誰が守る? 誰が守る?)
籠の中の鳥は ⇒ カグ・ノェ・ナカノ・トリー(硬く安置された物を取り出せ)
いついつでやる ⇒ イツィ・イツィ・ディ・ユゥー(契約の箱に納められた)
夜明けの晩に ⇒ ヤー・アカ・バユティー(神譜を取り、代わるお守りを作った)
鶴と亀がすべった ⇒ ツル・カメ・スーベシダ(未開の地に水を沢山引いて)
後ろの正面だあれ? ⇒ ウシラツ・ショーメン・ダラー(水を貯め、その地を統治せよ!)

●ソーラン節
 ソーラン節(ぶし)は、北海道の日本海沿岸の民謡である。
ニシン漁の歌として有名である。
歌詞のハイハイ・チョイは手拍子である。

ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
男度胸は五尺のからだぁドンと乗り出せぇ波の上チョイ
ヤサエンエンヤーーーァサーァのドッコイショ ハードッコイショドッコイショ

ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
舟も新らし乗り手も若い 一丈五尺のろもしなるチョイ
ヤサエンエンヤーーーァサーァのドッコイショ ハードッコイショドッコイショ

ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
沖の暗いのは北海あらし おやじ帆を曲げぇかじをとれチョイ
ヤサエンエンヤーーーァサーァのドッコイショ ハードッコイショドッコイショ

ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
おやじ大漁だ昔と違う 獲れた魚はおらがものチョイ
ヤサエンエンヤーーーァサーァのドッコイショ ハードッコイショドッコイショ

意味
ヤー     IHWI   ヤハウェは在る
レン     IkhNN   憐れみ深く
ソール    SWR    注目せよ
ラン     IkhNN   憐れみ深く
ソーラン
ソーラン
ソーラン
(ハイハイ) HIH HIH 居ます、居ます

チョイ    TQY    投げる
ヤ      IH     ヤハウェは
サエ     SWR    敵を
エン     AN     私は
ヤン     YAHLL   賛美する
サー     IH     ヤーウェを
ノ      NA     願う
ドッ     DKA    粉砕せよ
コイ     khWI    カイ(?)
ショ     SWR    敵を
(ハ ドッコイショドッコイショ)

日本語とヘブライ語の単語の発音と意味
ミカド (帝)    - ミガドル (高貴なお方)
ミコト (尊)    - マクト  (王、王国)
ネギ  (神職)   - ナギット (長、司)
ミササギ(陵、墳墓) - ムトウサガ(死者を閉ざす) 
アスカ (飛鳥)   - ハスカ  (ご住所)
ミソギ (禊ぎ)   - ミソグ  (分別・性別) 
ヌシ  (主)    - ヌシ   (長)
サムライ(サムライ)  - シャムライ(守る者)
ヤリ  (槍)    - ヤリ   (射る)
ホロブ (滅ぶ)   - ホレブ  (滅ぶ) 
イム  (忌む)   - イム   (ひどい)
ダメ  (駄目)   - タメ   (ダメ・汚れている) 
ハズカシメル(辱める)- ハデカシェム(名を踏みにじる)
ニクム (憎む)   - ニクム  (憎む)  
カバウ (庇う)   - カバア  (隠す)
ユルス (許す)   - ユルス  (取らせる)
コマル (困る)   - コマル  (困る)
スム  (住む)   - スム   (住む)
ツモル (積もる)  - ツモル  (積もる)
コオル (凍る)   - コ-ル  (寒さ、冷たさ) 
スワル (座る)   - スワル  (座る)  
アルク (歩く)   - ハラク  (歩く)
ハカル (測る)   - ハカル  (測る)
トル  (取る)   - トル   (取る)
カク  (書く)   - カク   (書く)
ナマル (訛る)   - ナマル  (訛る)
アキナウ(商う)   - アキナフ (買う) 
アリガトウ(有難う)  - アリ・ガド(私にとって幸福です)
ヤッホー(※山で叫ぶ)  - ヤッホー  (神様、栄光の神)

レビ族の秦氏によって日本にお盆が伝わる
 
 お盆は、もともと仏教の行事のように思われているが、実はそうではない。
沖縄では、旧暦の7月15日がお盆である。
日本全国を見れば、8月15日に行なう地域もある。
実は、日本に仏教が入るよりずっと前から(日本書紀では522年)、「祖霊祭(たままつり)」という神道の祭りが日本にあった。
この祖霊祭が仏教行事に取り込まれて、今のお盆になった。
この祖霊祭のルーツが、古代イスラエルの仮庵(かりいお)の祭りである。
聖書には、仮庵の祭りの日程について、次のように記されている。

「なお第七の月の十五日、あなたたちが農作物を収穫する時には、七日の間主の祭りを祝いなさい。・・・・・・あなたたちは七日の間、仮庵に住まねばならない。」
(レビ23:39-42)

 日本には早い時期からシルクロードを通って、
原始キリスト教徒(景教徒)の秦氏が来ていた。
彼らはユダヤの祭りを守るクリスチャンだった。
その原始キリスト教は、中国に入ると景教と呼ばれた。
そして原始キリスト教と同じように、
景教も多くのユダヤの風習と文化を継承していた。
 景教には、先祖の霊魂のために祈る風習があり、
大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)には、
彼らは「日に七度、生者と死者のために祈っていた」と記されている。
そしてユダヤの仮庵の祭りのときにも、「イズコル」と呼ばれる、
死者のための特別な追悼の祈りがささげられた。

 今日のユダヤ教においても「イズコル」は続いており、旧暦の7月15日の「仮庵の祭り」のときをはじめ、年に数回、先祖の霊のために祈る時がもたれる。
 ユダヤ人は、昔から死者の慰安のために祈る風習があった。
実は中国には、ソグド人(ペルシャ系アッシリア人:祖霊のために祈る風習を持つ)や景教徒たちがやって来るまで、死者のために祈る盛大な行事としてのお盆はなかった。
 そしてインド仏教にも、中国仏教にも、当初、お盆や死者のための供養の行事はなかったのである。
 古代イスラエルでは神殿があった時代、仮庵の祭りの時には、ともし火をともす風習があり、神殿の庭に巨大なともし火が設置され、他にもかがり火や大きな燭台などで照らされた。
 沖縄のお盆でも祖霊を案内するために、迎え火(提灯)や送り火(ウチカビを焼いて送る)があるが、火を祈りに用いる風習は、ユダヤ教でもキリスト教でも古くからあったのである。

 またユダヤには「仮庵(かりいお)の祭り」と同じくらい盛大に祝う「過越しの祭り」があるが、その時には、先祖を代表して、預言者エリヤを迎えるということをする。
つまりエリヤの席(空席)をもうけ、ぶどう酒をついだグラスをその席に置き、扉を開けっ放しにしておく。
 この先祖を招いて、共に食事をするという感覚は、沖縄(日本)も同じである。
ただここではエリヤが神とされるのではなく、エリヤは先祖の代表であり、先祖と共に聖書の神ヤハウェ(アヌンナキのエンリル)を礼拝しているのである。
 預言者エリヤの名前も「ヤハウェは神である」という意味で、名前そのものが信仰告白になっている。
 沖縄の祖先崇拝において「先祖の神」とは、亡くなった先祖が神になったかのように、理解されているが、本来はそうではない。
なぜなら聖書の神ヤハウェ(エンリル)も「先祖の神」と呼ばれ、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言われる(アブラハム、イサク、ヤコブはイスラエルの3大父祖)。
 この「先祖の神」とは、先祖が神になったのではなく、先祖が信仰し礼拝していたおおもとの神のこと、つまりアヌンナキのことである。
つまりお盆と盆踊りは、アヌンナキを崇める祭りなのである。

「日本・ユダヤ封印の古代史2」久保有政、ケン・ジョセフ共著
「驚くほど似ている日本人とユダヤ人」エリ・コーヘン著
Hiloyuki Kubota / 久保田 啓敬

レビ族の秦氏によって日本に盆踊りも伝わる

 エルサレムに神殿があった時代、ユダヤ暦7月15日の仮庵(かりいお)祭の時には、神殿の庭に巨大な灯火が設置され、高い位置に掲げられた。
そこに来るヘブライの民も、篝火(かがりび)や松明(たいまつ)を持って集まった。
そして、神殿自体も大きな燭台(しょくだい)で照らされた。
これらの光は、夜のエルサレムとその近郊を明々と照らし出し、その光景は遠くからも見ることができたという。
人々はその灯火の下で踊った。
これが盆踊りの起源となる。
現代において盆踊りは、盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行なわれる踊りとされている。
つまり盆踊りも秦氏が、日本にもたらした。
また、イスゴルという死者のための特別な追悼の祈りが捧げられた。

 古代から日本人は神を一人二人ではなく一柱二柱と数えた。
これは古代の日本人の世界観を表しており、柱に神が宿るということは、すべての中心の軸に神が宿るということである。
宇宙はスピンから生まれ、黄金螺旋トーラスの形で成り立っている。
スピンの中心には軸が生まれ、すべての中心には軸が生まれる。
一つの軸によってすべての存在はひとつに統合できる。
この世界観はこの時代から存在するもので、縄文時代には、円形に家を建てて村が形成されていた痕跡が残っている。
さらに盆踊りが広場中央のやぐらの周囲を回りながら音頭にあわせて踊る形式は、アヌンナキのイナンナを表す渦のデザインとも合致する。
 縄文人は住む場所を神聖な場所にするため、どこに住居を構えれば良いか計算していた。
それはご神木と言って、木を神と認識していた。
木の年輪とは最初の細胞は死んで、生きた細胞がまわりを取り巻き形成されていく。
新しい細胞が古い細胞のまわりを取り巻いていく。
年輪と同じように最も古い祖先は、常に一番の中心に存在していた。
それを継承したのが日本の各地に見られる盆踊りであり、円の中心に祖先を祀っている。

(くまチューブ)