2017
08.31

コリアン(朝鮮民族、韓国人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実一覧(日本人が確認すべき)

Topic, 朝鮮

・稲作が九州から朝鮮半島に伝わったこと
・唐辛子が日本から朝鮮に伝わったこと(足袋(たび)に入れて足を温めるものとして朝鮮半島に持ち込まれたのが唐辛子)

・半島南部の先住民が日本人(倭人)であったこと
・新羅の建国時の宰相が日本人(倭人)であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても日本人説(倭人説)があること

・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による任那(伽耶)地域の支配があったこと(半島南部における多数の前方後円墳の存在)

・朝鮮半島における文化的独自性が欠落していること(あらゆる分野での古典の不在)

・属国として歩んできた歴史であること(漢民族・モンゴル民族・満洲民族のどの民族からも朝鮮民族は格下扱いされてきた)

・中国の属国になってから、みずから改名して、中国語の姓名であること
・秀吉の朝鮮出兵が日本と明の戦争であったこと(李氏朝鮮の軍は明の軍の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われた)

・李氏朝鮮王が、中国の地方長官の地位でしかなかったこと

・清から、李氏朝鮮が琉球とベトナムよりも格下に扱われていたこと

・李氏朝鮮の前の高麗では、元の命令で、王妃が代々モンゴル人であり、モンゴル人の母親から生まれた息子しか国王になれなかったこと

・朝鮮半島の国が、歴史上一度も、単独では戦争に勝ったことがないこと
 (朝鮮民族と組んだ国も戦争に勝てない。高麗と組んだ元の元寇、大韓帝国を併合した大日本帝国の大東亜戦争)

・朝鮮民族が雑多な民族の集まりであること
・ハングルで表記できない発音がいくつもあること

・チマチョゴリが、子を産んだ女性は胸を露出して着る服であったこと

・朝鮮半島に唐辛子が広まったのは、塩の代わりの調味料だったこと

・李氏朝鮮の時代に、木を丸くする技術がなくて、二輪車がなかったこと

・秀吉が朝鮮に出兵した時に、秀吉側について明と戦った朝鮮人がたくさんいたこと

・馬に乗って戦っている倭寇がいて、日本人じゃない倭寇がいたこと

・日本に文明を教えてあげたと主張する王仁博士の出身地に、王仁博士の一族の末裔も王という姓の人もいないこと

・竹島が古代から一貫して日本の領土であったこと

・テーブルで肉を焼く料理法は戦後、日本から韓国に伝わったこと

・文盲だった朝鮮人にハングルを教えることにしてハングルを広めたのは日本人であること

・高麗の時代には、済州島は元の直轄地で、元の領土だったこと

・朝鮮戦争前はむろん、朝鮮戦争後もずっと、韓国人は白米を常食にできなかったこと

・朝鮮半島の国は中国の国に朝貢するにも朝貢する文物がないので女性を献上していたこと

・大韓帝国(李氏朝鮮)の外国からの莫大な借金を、日本が代わりに支払ってやったこと

・大韓帝国(李氏朝鮮)の李王家の帰国を大韓民国(現在の韓国)が拒否していて、大韓帝国と大韓民国は別の国であるので、大韓帝国併合については韓国人(大韓民国人)には言及できないこと

・2000年近い朝鮮半島の歴史の中で、朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかないこと

・朝鮮という国名にしたのは明だが、他国に自国の国号を決めてもらった世界にただ一つの国であること

・百済と新羅の時代に朝鮮半島に住んでいた日本人が文明人として他の民族から尊敬されていたこと

・百済と新羅から帰化した人からの朝鮮語の伝搬が見られないことから帰化人とは朝鮮半島に住んでいた日本人であったこと(帰化人を渡来人というのは誤り。文字通り帰ってきた人達。朝鮮半島からの帰化人は引き揚げ者)

・昔から今まで常に日本列島が朝鮮半島よりも文明文化が進んでいたこと

・済州島には朝鮮民族とは別の言語・風習を持っていた、朝鮮とは別の民族が住んでいたにもかかわらず済州島を併合してしまったこと

・1948年に、済州島の民族を大虐殺したこと

・済州島の民族の言語とアイヌ語に共通な語があって済州島には日本列島と同じ民族が住んでいたこと

・元寇の兵の大半は高麗人(朝鮮民族)だったこと(韓国では元寇を元の「日本征伐」としていて高麗人が元寇の主力兵だったことを教えていない)

・民族が到達しやすくても脱出しにくいのが半島だがそもそも朝鮮半島には日本人が住んでいて、後から別の民族がやってきて、それが朝鮮民族になったと考えられること

・民族は敵性民族がいなければ暖かい所に移動するので、朝鮮半島の朝鮮民族は北のほうから南下してきたと考えられること

・朝鮮民族が南下してきたといっても単一の民族としてではなくて、満洲民族、モンゴル民族、漢民族、北方のツングース民族等が南下して朝鮮民族になったと考えられること

・韓国では中国を親の国、韓国を兄の国、日本を弟の国だと教えているがそれ自体が韓国の属国思想であること(日本は独立国だったので、そういう発想がない)
・宦官制度が新羅の時代から1894年の甲午改革で廃止されるまであって去勢された男子の宦官がいたこと

・朝鮮民族は漢民族・満洲民族・モンゴル民族に従属していて格下の民族とされていたこと

・清朝の冊封体制の中で李氏朝鮮の地位は低く、朝鮮使臣のみが丸首の衣で歩いて裏門から入ったこと(朝鮮使臣のみが礼服と籠に乗ることと正門から入ることを禁じられていた)

・昔の李氏朝鮮の大極旗には清国属国旗と記されていること

・遣隋使、遣唐使、日明貿易の時代にも朝鮮を通さずに日本は交易していること

・李氏朝鮮の時代も、水田の灌漑施設がなかったこと
・1000年にわたる売春立国であること

・遣隋使、遣唐使、日明貿易はあったが、遣高麗使、遣朝使のような朝鮮半島との貿易はなかったこと

・朝鮮の漬け物の発祥地は中国の重慶であること

・高麗の青磁は中国の殷が起源、李氏朝鮮の白磁は中国の北斉が起源であり、どちらも朝鮮半島の発祥の文物ではないこと

・日本の歴史は事実・真実のままで世界に誇れる立派な歴史であること(歴史を偽造する韓国に配慮して日本の教科書を記述することなどとんでもないことである)

・韓国の教科書には「〇〇を日本に教えてあげた」という記述が山のようにあるが、そのすべてが偽造・ねつ造であること(韓国は、日本発祥のものでさえ教えてあげたと記述する傲岸不遜な国。教えたも問題だが、教えてあげたという表記は無礼千万)

・朝鮮半島発祥の文物で日本に影響を与えたものは一つもないこと(朝鮮民族がいなくても日本の文明文化は発展していた)

・朝鮮半島に存在しないDNAの稲が日本だけにあること(稲作は中国雲南省あたりから海路で九州に伝わったから)

・新羅も百済も日本(倭国)のことを文化大国として敬仰していたこと(朝鮮半島初の統一国家である新羅の基礎づくりを指導したのは日本列島から渡ってきた日本人(倭種)だった。「第四代新羅王の解脱(タレ)は、倭の東北一千里にある多婆那国の生れ」(三国史記新羅本記)、多婆那(タバナ)国は、丹波、あるいは但馬と考えられている)

・日本国は九州北部と朝鮮半島にまたがっていたこと(鉄資源を採取するための拠点が朝鮮半島南部にありそこから南が倭国(日本)と認識されていた。「韓は帯方郡(魏の直轄地・現ソウル付近)の南にあり、東西は海、南は倭と接す」「倭に至るには(海岸に沿って水行し韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し)その北岸、狗邪韓国に至る。(そこから)はじめて海を渡ること千余里、対馬国に至る・・」(魏志「韓伝」および「倭人伝」)
・日本は朝鮮半島南部の拠点を通じて、1世紀ごろには中国大陸と直接交流していたこと

・戦前の朝鮮史研究では、新羅4代王が日本列島の出身者であることなど常識であったこと
・新羅16代の王のうち半数が日本人であったこと(半島古史研究で基本資料とされる『三国史記4』(東洋文庫)に全文間違いの訳注がある。日本人(倭種)は4代目のみとする訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗)

・新羅と百済の同時代の『唐書』に「新羅も百済も倭国(日本)を大国として敬仰している。それは倭国には優れた品々が多いためで、常に使節が倭国に赴いている」との記述があること

・日本の皇室が世界で一番古い家系であること

・青森県の大平山元遺跡が「世界最古」の遺跡であること

・日本の神道のような信仰は世界中にあったが、今は日本にしか残っていないこと

・日本の前方後円墳は3世紀に出現したが、朝鮮南部の栄山江から発見された前方後円墳は5~6世紀のものであること(日本人が朝鮮半島に住んでいた証拠であると知った韓国人は朝鮮半島の前方後円墳を爆破した)

・百済では1世紀になって初めて稲を作るべしとの王令が出たこと

・日本の農業用語に朝鮮由来の言葉がないこと(朝鮮から伝来していないから)

・日本書紀が書かれたのは8世紀だが、朝鮮の三国遺事が書かれたのは13世紀であり日本の神話が朝鮮の神話よりも古いこと(日本の神話が朝鮮の神話を真似たというのは嘘。朝鮮神話が5000年前の熊太郎(檀君)神話を実話として教科書で教えているのは荒唐無稽)

・朝鮮が属国だったから、朝鮮からの使節が外交使節でなく朝鮮通信使とされたこと

・現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
・屈辱的な隷属の象徴の門だったこと
・朝鮮国王は 中国の王朝の皇帝によって任命されたこと

・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならなかったこと

・朝鮮国王の地位は、中国の王朝の廷臣よりも下だったこと

・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてなかったこと

・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もなかったこと
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならなかったこと

・新羅が日本の属国であって、新羅の王子が日本に人質にとられていたこと

・白村江の戦いとは、日本の属国から唐の属国になって寝返った新羅をめぐっての、日本と唐の宗主国同士の争いであったこと
・ハングルが日本の阿比留文字の真似であること

・朝鮮通信使が、朝鮮の王から日本から技術を学んでくるように言われていたこと

・併合前の大韓帝国がアジア最貧国だったこと(1910年のインドよりも、1910年の朝鮮半島は貧しかった)

・李氏朝鮮の王の即位の年には、「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり「国事をかりに処理する臣下の李」と、李氏朝鮮の王から清への書状に書かれていたこと
・「朝鮮」とは朝貢物の少ない国という意味であること(鮮は少ないという意味)

・現在の朝鮮民族と古朝鮮とは民族の連続性がないこと(現在確認されている朝鮮古語は180語しかない)

・満州国国歌を韓国国歌にしていること

・李氏朝鮮が男尊女卑の社会であって女は子を産む存在でしかなかったこと

・韓国は東北から北海道の緯度にある寒冷地帯であって南方の食べ物である稲が育つはずがなくて、1980年代まで韓国人は雑穀を食べていたこと
・朝鮮半島には価値ある文化、富や食、豊かな土地などまったくなかったという理由で、中国の王朝が朝鮮半島を自国領にしなかったこと

・トンスル(人糞酒)があること(犬、猫、鳩の糞の酒もある)

・百済時代には、百済を含めた朝鮮半島の南部から中部まで日本の文化圏だったこと

・遺伝子(DNA)鑑定によれば、現在のコリアンの多くが北方系民族で、日本人の系統とはまったく異なること

・朝鮮半島の歴史上、最も繁栄したのが日韓併合時代であったこと(インフラが整備され、人口は倍増、学校が作られて教育水準も上がった)

・病人のまねをする病身舞があったこと
・戦後、障害児を海外に養子に出して捨てていたこと
・朝鮮半島ではオルドス式銅剣もそれを製造する鋳型も見つかっていないこと(中国大陸と日本列島では発掘されている)

・朝鮮半島では大陸性の青銅ナイフが見つかっていないこと(日本では見つかっている)

・朝鮮は外部世界と隔絶した秘境で、文化がなかったこと

・朝鮮半島には布を染色する技術がなくて、住民は色落ちした白い服しか着れなかったこと

・高句麗が、日本を格上の国として、日本に朝貢していたこと

・高句麗も渤海も朝鮮民族の国とは言えないこと

・李氏朝鮮の李氏が満洲民族だったこと(韓国が李氏朝鮮の初代の李成桂の歴史ドラマを作らないのは李成桂が満洲人だから)

・父親の大便を息子がなめて健康を見るのが孝行息子とされていたこと

・明の皇帝の衣装が龍9匹、皇族が8,7匹、大臣級が6,5匹、地方の役所の長が4,3匹なのだが、朝鮮王は龍3匹の衣装だったこと(龍3匹の衣装にも赤と青があるが、格下の青い衣装だった)

・李氏朝鮮には1882年まで国旗がなかったこと(属国だったから)

・李氏朝鮮の首都の漢城(現在のソウル)に、道路すらろくになかったこと

・鼻が曲がりそうな糞尿の悪臭が朝鮮半島全土をおおっていたこと
・家が竪穴式住居に近いものであったこと

・朝鮮では中国の貨幣を使用していたが、庶民には流通せず、庶民は5日おきに開かれる市場で物々交換していたこと

・李氏朝鮮時代に、性的奉仕を行う「妓生キーセン」がいて、身分は奴婢であって、妓生こそが性奴隷だったこと
・大韓帝国併合時、朝鮮に公立学校は約100校しかなかったが大日本帝国が1943年までに4271校まで増やしたこと(それらは当時日本列島にもなかったコンクリートやレンガ造りの三階建て校舎などだった)

・韓国は高句麗と渤海を朝鮮民族の国としているが、高句麗は日本を兄の国として外交使節を送ってきて高句麗の後の渤海は日本を「父の兄、伯父(おじ)」の国として外交使節を送ってきていたこと
・キムチが人糞を混ぜて発酵させる食品だったこと(人糞の臭みを消すために唐辛子をどっさり入れた)
・キムチに使われる白菜も日本から伝わったこと(大正時代に名古屋の野崎徳四郎が栽培に成功した)

・役人が薪にするため柱を切ってしまうので、持っていかれないように、柱に人糞を塗ることがあったこと

・李氏朝鮮の李氏は明・清の後ろ盾で朝鮮王を名のっていただけであり、朝鮮半島は実質は無主地だったこと

・大日本帝国の民間銀行「第一銀行韓国総支店」が1902年に第一銀行券を発行したが、それが韓国で初めての紙幣であったこと

・男尊女卑で、女性は男性の食べ残しを食べていたこと

・ハングルは表音文字なので、「放火」と「防火」が同じ「素数」と「少数」が同じ、「祈願」と「起源」が同じになってしまうこと

・李氏朝鮮・大韓帝国に鉄道がなかったこと

・李氏朝鮮・大韓帝国が禿山ばかりだったこと

・キムチがもともと中国の酸菜(冬季用の漬物)が三国時代に韓国に伝わったものである(白いキムチ)と中国最古の詩篇「詩経」に記載されていること(それに唐辛子を加えたのが今の赤いキムチ)

・李氏朝鮮・大韓帝国には2階建ての建築物がなかったこと(外国人の建築物を除く)

・英語その他のヨーロッパ語の辞書が作られたのは日韓併合後であったこと

・朝鮮人小学校の年間平均学費が1人7円30銭であったのに対し、日本人小学校の年間平均学費が平均40円であったこと(日韓併合時代、日本は朝鮮人を優遇していた)

・大日本帝国軍の将校であった多くの韓国人が創氏改名をしなかったこと(もし創氏改名が強制されたものであったとしたら、朝鮮半島出身の将校こそ、手本を示すために創氏改名させられたはず)

・李氏朝鮮518年、日韓併合時代、1945年以後の南北分裂時代の3つの時代を比較して、もっとも人命が尊重されて人口が増えたのは日韓併合時代だったこと
・朝鮮の残虐な刑罰を廃止したのは日本政府であったこと

・大韓帝国併合を要請したのは大韓帝国側であったこと

・車輪を作れなかったので、李氏朝鮮・大韓帝国には馬車・牛車・人力車、農業用の水車がなかったこと

・朝鮮民族には入浴する習慣がなかったこと(大日本帝国時代、朝鮮半島に銭湯が作られて、日本人と朝鮮人の浴槽は別々であったが、朝鮮人の女が入浴に来た例はなかった)

・朝鮮半島の諸国が日本の管轄下にあったことを南宋の順帝が公式に認めていたこと(宋書は、倭王・武の順帝宛上表文の「海を渡って平らげること95ヶ国)を認め、順帝から「武を使特節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙した」とする)
・広開土王碑文には「391年、倭が百済と新羅を破り臣民とした」とあること

・鉄の産地は主に新羅地域だが、隋書に「日本人(倭人)が鉄を採掘しているという『韓伝』の転載」があること
・752年の奈良大仏開眼供養には、アジア各国からの参列者があって、日本の勢力は隆盛だったこと(導師はインド出身の僧菩提僊那で、従者には胡人(イラン人)も混じり、日本、唐、高麗の楽舞が大仏に奉納された。1万数千人もの参列者の名簿が正倉院文書にある)

・百済の時代に、日本に70近くの国分寺、国分尼寺が建立されていたこと(仏教が百済から伝わったというのは嘘)
・野糞が普通だったこと(どの道も糞尿だらけだった)
・少女キーセン(性奴隷)がいたこと

・私有財産が保障されていなかったこと

・大韓帝国併合後は、洪中将、金少将など、朝鮮人を分け隔てなくして、日本人兵士に対して命令できる軍の高位に抜擢したこと
・朝鮮の女性には名前がなかったこと
・平均寿命が24歳だったこと(大韓帝国併合後には平均寿命が56歳に上がった)

・朝鮮人女性の性奴隷を禁止したのは大日本帝国政府であったこと

・現代の朝鮮民族の風習がロシアのエヴェンキ族に酷似していること(古代の朝鮮とは別の民族)

・朝鮮には木を丸くする技術がなかったので桶(おけ)も樽(たる)もなかったこと

・朝鮮民族は犬を食べるが、時間をかけて犬を苦しめて殺していたこと

・元寇の兵士の大半が朝鮮民族だったが、占領した対馬の住民に対して、男は皆殺し、女は掌に穴をあけて縄を通して船につるしたこと(日本兵が矢を射られないようにした)
・在日韓国籍コリアンの多くが、戦後、済州島から日本に密入国してきた人であること(戦時中の強制連行どころか、戦争が終わって大韓民国ができてから自分の意志で日本に来た)

・韓国語に「おもいやり」の単語がないこと(韓国人は「人をおもいやる」ことがないから)

・朝鮮半島は、ソウルでさえ浮浪者が集落を作っているに過ぎず、何の文明もなかったこと

・朝鮮半島は「羅生門」の時代よりも悲惨な状態だったこと
・朝貢が少ないと文句を言う清王朝の機嫌をとるため、収穫物・生産物のほぼすべてを両版(リャンバン)が収奪していたこと

・1910年の時点で朝鮮の住民の94%が文盲だったこと(ハングルも読めなかった)

・対馬の領土化を狙った李氏朝鮮の対馬侵略が1419年の「応永の外寇」だが、対馬の守護や主力兵が不在の時期を狙って17285人の軍勢を対馬に侵攻させたにもかかわらず、対馬の留守を預かる600人程度の日本の武士に李氏朝鮮が10日ほどで完敗したこと(戦死者が日本20人、朝鮮2500人以上)

・「応永の外寇」の結果、対馬が日本であることを李氏朝鮮が再確認させられたこと

・李氏朝鮮が対馬に朝貢していたこと(李氏朝鮮は明治になるまで毎年大量の米、麦、野菜などを対馬に献上していた)

・大日本帝国は1895年に台湾を、1910年に朝鮮半島を併合したが1910年の朝鮮半島が1895年の台湾よりも非文明地域だったこと

・創氏改名を要請したのは朝鮮人の側だったこと(朝鮮民族は漢民族・満洲民族から格下扱いされていたので日本名を名乗って日本民族を詐称することを朝鮮民族が望んだ)

・伊藤博文を暗殺したのは安重根ではなかったこと

・秀吉が朝鮮から連れてきた陶器職人を江戸時代に家康が朝鮮に帰してあげようと言ったところ全員が断ったこと(日本の暮らしのほうがずっと良かったから)

・李氏朝鮮は清の属国だったが、清に日清戦争で勝って李氏朝鮮を独立させたのが大日本帝国であること(李氏朝鮮の宗主国・清に勝った国を弟の国と呼ぶのは支離滅裂)

・李氏王朝を廃止したのは李承晩(韓国初代大統領)だったこと(李氏王朝は大韓帝国併合後も存続していた)

・鑑真も空海も最澄も東シナ海を渡ったこと(朝鮮半島を経由しなかったのは、朝鮮半島に立ち寄ると物資が略奪されるから)

・朝鮮人は、日本と中国大陸の文化伝来の邪魔をしていたこと(朝鮮半島を経由できていれば、東シナ海でたくさんの日本の船が沈没することはなかった)

・朝鮮の王朝が、1400年代まで対馬や九州北部に数十回も侵略しようと兵を送っては撃退されていたこと

・江戸時代の朝鮮通信使が市中で鶏を盗んだりして町人に嫌われていたこと

・対馬が日本神話に出てくる古代からの日本の領土であること
・朝鮮半島には武士階級がいなかったこと(武道で心身を鍛えることがなかったのが朝鮮民族)

・中国の王朝に朝貢していた越南(ベトナム)、琉球(沖縄)、朝鮮の中で、朝鮮だけが属国扱いされていたこと

・大日本帝国が1924年に京城帝国大学(ソウル大学の前身)を設立したこと(植民地ではなかった証拠。欧米は植民地には小学校すら作らなかった)

・朝鮮名のままだと商売がやりにくいという(名目での)朝鮮人の訴えが多かったので、内務省が創氏改名に踏み切ったこと(判子をついたのが元内務官僚の奥野誠亮・元自民党衆議院議員)

・李氏朝鮮は清に美女3000人を毎年献上していたので美女が減っていったこと(美女から生まれる男子も減っていった)

・竹島どころか、竹島と朝鮮半島の間の鬱陵島(ウルルン島)も江戸時代の1618年から1696年まで日本の領土であったこと

・朝鮮王が清国皇帝に奉呈した貢文に清国皇帝が気に入らない言葉が1つあっただけで、朝鮮王は銀一万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けたこと

・李氏朝鮮のソウルには、芸術品がまったくなく、公園もなければ催し物も旧跡も寺院もなかったこと

・樽(たる)を作れなかったので、味噌も醤油も作れなかったこと

・朝鮮半島の民族が昔から今まで南と北で相当違っていること

・韓国で使われている漢字語の8割以上が日本製であること(ハングルの読み方で読まれたのが漢字語)

・李氏朝鮮では漢字を読めたのは男性貴族だけだったこと

・李氏朝鮮では両班、中人、常民、奴婢、白丁という順に厳しい身分支配構造が形成されていたこと(日本と違って、階級の移動がなかった)

・李氏朝鮮の商店には屋根も棚もなかったこと(李氏朝鮮では土の上に魚を置いて売っていた)

・李氏朝鮮で1400年代に王が命じた水車づくりが1700年代の朝鮮でも実現されていなかったこと

・下層民である奴婢は両班の一家の食べ残しを食べていたこと

・先の大戦では、日本の一部だったのだから敗戦国だし、独立戦争を戦ったわけでもないのに、戦後、朝鮮進駐軍と称して日本国民に乱暴狼藉の限りを尽くしたこと

・1965年の日韓基本条約締結時、日本側代表が「互いの財産を相殺すれば(韓国に残した日本の財産の方がはるかに多いので)そちら側が莫大なカネを払うのだぞ」と反論したこと

・日本固有の領土である竹島を不法占拠している韓国は、日本に対する侵略国であること

・対馬藩が朝鮮に租界地を有していたこと

・朝鮮が告げ口社会であり、それが今でも続いていること

・日本の歴史を歪曲することは「日本民族の魂」を歪曲することであること(韓国の外相が「歴史は民族の魂だ」と発言している)

・江戸時代の朝鮮通信使が日本に来て大きな川に橋が架かっているのに驚いたこと

・「歴史を忘れた民族に未来はない」という言葉は、自分の歴史書を売るために韓国人に向けて発言した韓国人の申采浩の言葉であること

・日本に、韓国に謝罪と賠償を要求する権利があること(高麗の皇太子が元の皇帝フビライに「日本は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておらず。」と述べたことが、元寇への決定的な要因となった)

・元寇の主力先兵は高麗兵であり、指揮官の中でも好戦的だったのが高麗人だったこと(中国の正史『元史』にも、朝鮮の正史『高麗史』にも記述がある)

・壱岐・対馬に上陸した高麗兵の残虐行為からまだ1000年を経ていないのだから、韓国に謝罪と賠償を要求する権利があること

・「従軍慰安婦」はなかったこと(呉善花氏は韓国で生まれて26歳まで韓国で生活していたが、その間、村の女を軍や総督府の官憲が強制的に連行したといった話は一切耳にしたことがなく、呉氏がインタビューした植民地世代韓国人も「一人としてそのような様子を見たことも聞いたこともない」と言っている)

・大韓帝国が成立したのは大日本帝国が日清戦争に勝ったからで、大韓民国が成立したのは大日本帝国が敗戦したからであること(韓国人は日本人に足を向けて寝られない)

・戦後、一般の日本人を一番殺したのは韓国であること(島根県の漁民が犠牲になった)

・日本人の韓国嫌いは一時的なものではないこと(朝鮮人と知り合った日本人が朝鮮人嫌いになったのは昔からである)

・コリアン(朝鮮民族)を嫌っていたのは日本人だけではないこと(コリアンを知ったロシア人もコリアンを嫌った)

・朝鮮半島起源の文化が一つもないこと

・朝鮮には誇れる歴史がないので、歴史を創出しようとしていること(2010年の民主党政権時、宮内庁が保管していた「朝鮮王室儀軌」を50点だけ持っていく約束が他のも2000点も持っていった)

・昔から、困った時だけ日本に頼ってきたこと(秀吉の時代も、飢饉に苦しんだ李氏朝鮮に米を送っている)

・いくら日本人に嫌われても意に介せず厚顔無恥なこと(最近になって、日本の嫌韓に気が付いてきて驚いている)

・戦後、日本は、朝鮮人に帰国するように呼びかけて、朝鮮半島に帰国する朝鮮人のために何度も無料で船を出したこと(現在の在日韓国籍コリアンは自分の意志で日本にいる)

・大日本帝国が大韓帝国を併合した時に、ほとんどの朝鮮人が喜んだこと

・1945年から1990年にかけて、韓国軍の強制的な拉致・監禁で慰安婦にされた女性がいたこと(特殊慰安隊、ヤンコンジュ・洋公主と言われる韓国軍の従軍慰安婦)

・パク・クネ大統領の父親の朴大統領が韓国軍慰安婦問題の張本人であること(娘のパク・クネは、これを隠してごまかすために日本軍慰安婦だと嘘を触れ回っている)

・1910年の日韓併合時、総督府がそれまで朝鮮にはなかった戸籍の整備を始めたところ、非常に多くの朝鮮人が「日本名」で戸籍に登録する騒動が勃発したこと(1911年、総督府は朝鮮人を区別するため「改名禁止」の法令を出した)

・1939年、総督府が、朝鮮人の強い要望により「創氏改名」を発令したが、1940年に施行された時、朝鮮人の人口の80%の322万戸が自分の意志で日本風の氏を名乗ったこと

・日本名への改名は、朝鮮人の「姓」に、日本風の「氏」を追加しただけであったこと(従来の朝鮮人の「姓」は廃止も改名もされていない)
・中国への朝鮮人の入植が始まると、朝鮮人と中国人のトラブルが続発したこと

・中国各地での日本国籍を与えられた朝鮮人の道徳の無い行動が中国や世界でニュースに取り上げられてヨーロッパで反日宣伝の材料になったこと

・朝鮮半島で、朝鮮人に横暴な振る舞いをしたのは朝鮮人の下級補助員(補助憲兵、朝鮮人巡査、朝鮮人通訳)だったこと

・イングランドがスコットランドを併合したように大日本帝国が大韓帝国を併合したこと(植民地化ではなくて、併合であった)

・清に朝貢していたという事実からは、ベトナムと沖縄が韓国の兄の国になること(沖縄は日本の一部(県)だが、韓国からは兄の「国」になる)

・663年の白村江の戦い後、日本人が命からがら朝鮮半島から日本列島に帰ってきたこと(終戦直後の朝鮮進駐軍と同じ。朝鮮民族の民族性は変わらない)

・朝鮮人に温情を掛けると朝鮮人は自分が上だと勘違いすること(どの民族からも格下扱いされていた朝鮮民族を大日本帝国が対等に扱った結果、韓国は、韓国が兄の国、日本が弟の国なんてとんでもないことを言い出した)

・大日本帝国時代、朝鮮総統府の日本人全職員がハングルの辞書を持たされてハングルを勉強したこと(植民地ではなかった証拠。植民地なら現地語を学ばない)

・大韓帝国併合時代も朝鮮半島では盗み、こそ泥がひんぱんだったこと
・第二次世界大戦で、韓国は戦勝国ではないこと(それを戦勝国と偽って朝鮮進駐軍と名乗った)
・朝鮮半島南部は日本人(倭人)の拠点の1つとして開拓されたこと
・朝鮮民族の誕生は13世紀頃であること(明の属国になって半島外から異民族の血が混じることが無くなった時)

・毎朝小便で顔や体を洗い、小便でうがいをしていたこと(とくに乳児の小便は清潔とされていた)

・キムチに対応する漢字が存在しないこと(キムチの歴史はせいぜい70年以内である疑い)

・小便や糞が混ざっている水でも平気で飲んでいたこと(味噌も糞も朝鮮人にとっては一緒だった)

・小便壺が家の中にあって、客がいても平気でそこで小便をしていたこと
・朝鮮半島の土壌からは寄生虫の卵が大量に見つかること

・世界で唯一人糞を口に入れる民族だったこと

・李氏朝鮮の厳格な身分制度を廃止したのは大日本帝国であったこと

・韓国ドラマに出てくる見事な鎧(よろい)・甲冑はまったくのねつ造であること(昔のものが1つも見つかっていない)
・韓国は朝鮮戦争により中国から被害を受けたので、その謝罪と賠償を中国に要求したが、中国大使から一喝されたあげく経済制裁されたこと(それ以降、韓国は中国に一切謝罪と賠償を要求しなくなった)

・謝罪謝罪と言うなら、韓国人が大日本帝国軍の兵として戦争したことを連合国軍に謝罪すべきであること(謝罪が好きなら自ら率先して謝罪して手本を見せるべき)

・韓国には謝罪を「受け入れる」文化が無いこと(韓国人にとって謝罪は上下関係を決定づける行為でしかなく、謝罪は隷属の意志を示す行為になる)

・512年12月、百済が使者を日本に送ってきて「任那の一部(百済寄りの4県)は日本から遠く、百済に近いので、譲って欲しい」と言ってきて、百済が任那の4県をぶんどってしまったこと(日本に対して一方的なのは昔から)

・米軍が韓国に駐留した1945年9月以後も、韓国では100万人を超える女性が基地の村で米軍らを対象に売春していたこと(韓国政府は基地村の女性に「慰安婦」の名称を使っていた)

・史実に基づいた歴史を韓国人に教えるのが日韓のためであること(韓国人の留学生が京都に「日韓友好のため」と称して従軍慰安婦の像を作ろうと運動している)

・江戸時代の朝鮮通信使が朝鮮の風習で大便を街道の路上で行ったこと

・朝鮮通信使が、旅館の器物を軒並み持っていってしまったこと

・朝鮮通信使に対する苦情が多かったので、1811年に幕府は朝鮮通信使を対馬止めにすることに変更したこと(易地聘礼、えきちへいれい)

・朝鮮通信使が日本の貨幣経済の発達に驚いたこと(江戸時代でも、朝鮮では物々交換だった)

・朝鮮半島で、庶民が食事の際に箸やスプーンを使うようになったのは1910年以降のことであること(それまではインド式(手づかみ)であった)
・大日本帝国の朝鮮総督府が何度も出した布令に「路上脱糞禁止令」があったこと

・1937年からの大日本帝国の志願兵の募集に朝鮮人が殺到したこと(1942年には倍率が62.4倍にもなった)

・朝鮮半島は空気が乾燥しているので、発酵食品が生まれなかったこと(醤油、味噌だけでなく、納豆も朝鮮人は知らなかった)

・1945年、脱走した朝鮮人兵が沖縄の伊是名島(いぜな島)の住民を虐殺したこと

・在日韓国籍コリアンには、仕事をしに日本へ渡ってきた人とその子孫か、朝鮮戦争を逃れてきた人とその子孫しかいないこと(李青若『在日韓国人三世の胸のうち』より)

・「アメリカ軍が1944年に調査したところ、慰安婦は金で雇われたただの売春婦だった!」という報告書が発見されたこと(第3者で当時の敵国から出た証拠)

・韓国人が起源を言うなら、トンスル(人糞酒)の起源が朝鮮半島であると言うべきであること(日本には無いので、トンスルの起源が朝鮮半島だと言われても日本人は反論しない。遠慮はいらない、韓国人はトンスルの起源を世界中に主張すべき)

・戦後、韓国と取引した日本企業は韓国から送られてきた試作品を見て契約したが、実際の取引が始まると粗悪品ばかり送られてきたこと

・スサノオノミコトが韓地(カラチ)に行ったという「日本書紀」の記述からも朝鮮半島南部が日本であったことがわかること(あまりにも木が少ないので、嫌になって出雲に来た。カラの国とは木がないからカラ)

・朝鮮民族の歴史が、強いものには巻かれ、弱いものには悪辣非道な歴史であること

・「韓国は嘘の国、日本は本当の国」であること(韓国が韓国民に教えている「韓国は兄の国、日本は弟の国」はまったくのデタラメ)

・大韓帝国併合は併合であって植民地ではなかったが、それを植民地であったと歴史を偽造して、朝鮮人なら当然のごとくするであろう非道な行為を日本人がしたように嘘をついていること(朝鮮民族は下の者には悪辣非道だから朝鮮民族の発想で植民地を想像している。下の者だからといってそれだけで悪辣非道なことを日本人はしない)

・強制連行されたという、いわゆる「従軍慰安婦」が1人も見つかっていないこと(自発的にやっていた高給取りの「追軍売春婦」ばかり)
・大日本帝国の軍隊には朝鮮人の将校までいたのであるから、強制連行された朝鮮人の「従軍慰安婦」がいれば、まっ先に朝鮮人兵が解放していたはずであること(朝鮮人兵が何もしなかったのは、いわゆる「従軍慰安婦」が軍とは無関係な高給取りの売春婦だったから)

・大日本帝国の軍が「従軍慰安婦」を強制連行した証拠資料が1つも存在しないこと(にもかかわらず、韓国の与党議員らが慰安婦の記録物を世界記録遺産に登録しようなんて発言している)

・朝鮮半島の歴史はほとんど属国の歴史であり、独立していた日本の歴史に嫉妬して、日本の歴史を悪く書き換えようとしていること(いくら日本に嫉妬しても、日本の歴史が素晴らしいことに変わりはない)

・日本人が明治時代にある種の郷愁を覚えるのは、明治時代がほとんど日本人の国であったからであろうこと(明治時代は1912年7月30日まで。韓国人が移住してきた大韓帝国併合は1910年8月29日)

・大日本帝国が大韓帝国を併合していた時代に、朝鮮人の部下になった日本人がたくさんいたこと(植民地ではなかった証拠)

・「従軍慰安婦」なるものは存在せず、戦場で「売春する女性とそれを仕切る業者」がいただけであること(日本兵の給料→当時の5円、いわゆる「従軍慰安婦」の給料→当時の300円)

・属国の歴史が独立の歴史よりも多い地域は世界で朝鮮半島だけであること

・大日本帝国の朝鮮総督府が朝鮮半島の鉄道を広軌1435mmにしたこと(広軌は新幹線と同じレール間隔。日本列島では狭軌1067mmだから、日本列島よりも立派な鉄道を朝鮮半島に敷設した)

・いわゆる「従軍慰安婦」の件では、朝鮮人兵が朝鮮人業者から朝鮮人売春婦を買った例も多かったこと

・いわゆる「従軍慰安婦」の河野談話が、原案も最終案も韓国側に提示されていて、韓国の悪意ある修正を受けていたこと

・漢文の「世宗実録」28年の項に、倭寇の多くは朝鮮半島住民であり日本人の倭寇は全体の1~2割に過ぎないと記されていること(この部分が、現在のハングルの「翻訳本」には欠損している)

・朝鮮では古来より、王朝・政権が変わると前の王朝・政権に関わるものは徹底的に破壊するという野蛮な風習があったこと(特に仏教寺院は李朝時代に徹底的な迫害を受けて破壊された。現在残っているのは人里離れた山の中にあって破壊を免れた寺院)

・西洋医学を朝鮮半島に持ち込んだのは日本だったこと(1908年にソウルに設立された「大韓医院」)

・大日本帝国が朝鮮半島の治安を朝鮮人に任せていたこと(朝鮮半島の軍人と警官の八割は朝鮮人だった)

・大日本帝国が大韓帝国を外交権のない保護国にしていた併合前の1905年から1910年でさえ大日本帝国が朝鮮半島に巨額の資金をつぎ込んでいたこと(1906年は大韓帝国政府の歳出額の約2倍に相当する1533万円を朝鮮半島に投入した)

・百済に、仏教が来る前には神道があったこと(百済から引き上げてきた帰化人が、賀茂神社の宮司になったりしている)

・沖縄戦で役場の土地台帳がなくなっていることをよいことに、基地の地主に成りすまして、日本政府から地代を巻き上げているコリアンがいること

・新羅と百済の文明は日本人の文明であって、日本人が日本列島に引き揚げた後の朝鮮半島には独自の文明が生まれなかったこと(日本列島に引き揚げた日本人が帰化人。それ故「帰」の字が当てられた)

・日本史上最大の誤りが大韓帝国の併合であったこと(敵性民族を日本列島に流入させた)
・朝鮮民族と距離を置くほど、日本の国運が良くなっていること(日清戦争、日露戦争と明治時代は国運隆昌。大韓帝国を併合した後に関東大震災、敗戦。朝鮮半島を切り離した戦後は高度経済成長。1991年11月1日から韓国籍・北朝鮮籍コリアンに特別永住資格を与えたが、平成不況に突入。特別永住資格は他の外国籍外国人に対する差別でもある)

・朝鮮民族に情けは無用であること(ひとたび敵対したら恨みをいだいていて、情けをかけてやっても背く)

・そもそも済州島は日本の領土であったこと(神功皇后の時代、済州島が百済に譲渡された)

・朝鮮半島の住民は、日本の歴史に当てはめると「大化の改新」以前の生活をしていたこと

・現実の韓国とは、文明の終わりを思わすような悪辣な思考と行動、風習、風俗が闊歩する社会であること(室谷克実『悪韓論』より。朝鮮半島の歴史的事実も室谷克実の著作に詳しい。上記は氷山の一角である)

・朝鮮民族とは日本民族に「恩をあだで返してきた」民族であること(歴史的に敵性民族)
・上記は歴史を直視しているので韓国に遠慮はいらないこと(韓国の外相が「日本は歴史を直視せよ」と発言している)食事の際、コリアンは、左手は不浄の手なので、使ってはなりません。
ですから右手で箸やスプーンを持って食器に顔を近づけ、口を開けながらぐちゃぐちゃと音を立てて食べることが作法とされています。

それが正しい作法として育った彼らからみると、日本人が不浄の手である左手でお茶碗を持つことは、礼儀に反したみっともない行為に思えるのだそうです。
また、口を閉じて音を立てずに食べることは、出された食事を「まずい」と言っているのと同じで、たいへんに失礼にあたると考えます。

このような食事の作法というのは、半島には昔からあったものではなくて、そもそも作法がなかったものを、日本統治時代に日本人から教えられた作法への対抗として戦後に作られた朝鮮作法です。
そしてそれが作法となったことにより、コリアンたちは、日本人の食事の作法を、みっともないものだと決めつけます。
やっかいな話です。