2017
09.10

金貸しと銀行業の違いと、複式簿記 

Topic, 複式簿記

ひょう吉の疑問サイトより
2017-09-09 08:00:29 |
 金貸しと銀行業の違いは、金貸しが自分のお金を人に貸し付けて儲けるのに対して、銀行は預かった他人のお金を人に貸し付けて儲けるという点だ。
金貸し業は多くの社会で嫌われる商売だった。あくどいイメージがつきまとった。
それはお金を人に貸し付けて儲けるということが一種の不労所得だと認識されていたからだ。
しかし金貸し業の時代、それはまだしも自分のお金であった。
しかしそのルールさえも壊したのが銀行業である。
銀行業の始まりは、他人から預かったお金をこっそりと人に貸し付けたことから始まる。
そのこと自体、すでに不道徳なことである。
(17世紀、イギリスでピューリタン革命が起こった頃、イギリスの金細工師などの金匠たちが他人から預かって金庫に保管したお金をこっそりと人に貸し付け、利息を取り始めた。ただしこのこととピューリタン革命の資金源がどう関係しているかは、また別の問題。)
しかし現在の銀行業の本質は、他人のお金を人に貸し付けることにさえない。
その証拠には、預金を貸し出しに回せば預金が減るはずだが、実際に銀行が貸し付けを実行するとき、預金が減ったりはしない。
銀行の複式簿記を見ればすぐに分かることだが、銀行が貸し出しを実行するとき、預金は減るどころか逆に増える。
(私がA銀行から100万円借りるとき、そのお金はA銀行の私の口座に入り、A銀行の預金残高が100万円増える)
この増えた分の預金はいったいどこから来たのか。
実に奇妙なことである。
(複式簿記は引き算はしない。最初はすべて足し算である。銀行は、貸出金という資産を100万円増やせば、預金という負債を100万円増やせば良い。これで資産と負債のバランスがとれるという実に奇妙なものである。では銀行の貸出金の原資となるお金はいったいどこから来たかという疑問である。)
つまり銀行は、人にお金を貸すとき、自分のお金を使うのではなく、まして他人から預かったお金を使うのでもなく、全くの『無』から新たなお金をつくり出して、それを他人に貸し付けているのである。
これは天から降ってきたお金である。
銀行は複式簿記によって、そういう特権を手に入れたのである。
銀行は実際に紙幣を刷ってはいないが、天から降ってきたお金で通貨量(私の預金)を増大させるのであるから、これは紙幣を刷ったのと同じことである。
(私は、天から銀行に降ってきた架空のお金を私の預金にしてもらい、その預金を現金にして、実際に物を買うことができる。そしてそれを返済するために働き、利子を上乗せした金額を銀行に返済する。このときに通貨量はもとに戻るが、新たに利息分の通貨量が増大する。ただし利息がどこから来るかは、また別の問題。)
世間ではこれを『信用創造』の一言で済ませているが、その実態はかなり怪しい。
こういうシステムを世界ではじめて確立したのが、17世紀のイギリスである。
イギリスの植民地支配のための資金源(戦争費用)はこういうところから生み出された。
1694年のイングランド銀行(世界初の本格的中央銀行)の創設の意味は根深い。

 経済成長のない社会はゼロ金利になる。
 ある人Aが自己資金100万円と他人Bからの借金100万円の合計200万円を元手に商売をして、1年間で10万円儲け、資産を210(200+10)万円に増やしたとする。
200万円が210万円になったのであるから、資産の増加率は5%(10÷200)である。
だからAは、お金を借りたBに5%の利益を上乗せして105万円の返済をした。
商売は人によって上手下手があるから儲けたり損したりするが、多くの人がAと同じようなことをしてその平均が年間で出資金の5%の利益を手に入れているとしたら、その利息率は5%が妥当ということになる。
 もっと景気が良くなれば、その利益率は6%、7%と増えていく。そうするとそれに合わせて金利も6%、7%と上昇していく。それはお金を借りたい人と、お金を貸したい人の需要と供給の関係で、そういうことに落ち着いていく。
 逆に景気が悪くなれば、その利益率は4%、3%と減っていく。そうするとそれに合わせて金利も4%、3%と下落していく。
 金利と利益率はこうやって歩調を合わせる。
 今流にいうと、金利の高低は経済成長率と歩調を合わせるということだ。
このことは、今の日本の経済が超低金利(ゼロ金利)にもかかわらず、なぜ経済成長しないのかと問うよりも、
経済成長しない社会の金利は、自然と超低金利(ゼロ金利)になるということである。
ということは、今のアベノミクスは、経済成長しない社会を無理やり経済成長させようとして、結局失敗しているということになる。
ゼロ金利だけではなく、量的金融緩和(無理やりお金を刷って)で余ったお金は株に流れて株高をもたらしただけで、実体経済は何も成長していないという日本の今の現状を説明している。
そんなゼロ成長のなかで、企業の利益だけが増え、その分個人の所得が減っている。
同じことだが、富める者の所得が増え、貧しい人の所得が減っている。
派遣労働者や契約社員が増え、正規雇用と非正規雇用の二極分化が進んでいる。
逆進性の強い(富める者に有利で貧しい者に厳しい)消費税の税率が上がっている。
つまり国民の間に格差が広がっている。
資本主義は弱い者を見つけ出し、彼らから富を収奪するという構造をもっている。
アベノミクスはその構造を国民の間につくり出そうとしている。
今その構造が、『中心』と『周辺』という概念で、歴史的に説明されようとしている。
もしアベノミクスが成功すれば、それは日本が民主国家らしくない非常に危険な国になるということだ。