10.05
北の元工作員が明かす拉致の実態…まだまだ眠る情報
2013.12.15 10:47
【北朝鮮拉致】
北朝鮮による拉致問題の全体像や解決策について考えるセミナーが13日、東京都千代田区の参議院議員会館で開かれた。セミナーには朝鮮労働党の工作機関「対外連絡部」の元工作員、金東植(キム・ドンシク)氏(51)らが登場。金氏は1980年代末から90年代初めにかけ、北朝鮮・平壌で数回目撃した「タナカ」と名乗っていた日本人の様子や、日本人拉致の目的について証言した。
■「タナカ」の妻も日本人
金氏によると、「タナカ」を見たのは、平壌市内の工作員教育機関がある順安(スナン)招待所。金正日(キム・ジョンイル)政治軍事大学でともに学んだ同僚の工作員が「タナカ」から日本語を習っており、「タナカ」の存在や生活していた招待所の場所まで知っていたという。
「そこ(招待所)を通り過ぎるときに2、3回後ろ姿や横から姿を見た。彼は当時身長170センチぐらいで、髪を伸ばしていた。体格は普通ぐらいだった」と目撃時の様子を説明した。
「タナカ」の妻も日本人だったが、2人がどんな経緯で結婚し、子供がいたかどうかは分からないという。「タナカ」が住んでいた招待所からそれほど遠くないところでは、別の日本人が工作員教育を行っていることも聞いたという。
日本人拉致の目的について、金氏は「工作員として使おうという理由だった」と証言。「日本人であれば日本語や日本の習慣を教える必要がない。工作員としての教育さえすれば、日本で活動できる」と北朝鮮の狙いを話した。
しかし、拉致被害者の中には工作員に向かない人もおり、「工作員に使うことができない人は工作員の講師として使い、講師として使えなかった人は日本に関係する通訳や翻訳をさせたと聞いた」(金氏)
金氏は、韓国担当の工作員と結婚して夫婦工作員として活動した日本人女性を具体例として挙げた。女性は90年代初めに30~40代だった。夫は98年に韓国から北朝鮮に半潜水艇で戻ろうとしていたところ、韓国軍の攻撃を受け死亡したが、女性は今も北朝鮮で存命だという。年代のほか女性の詳細については分からず、拉致被害者かどうかは確認できないが、「拉致被害者である可能性も十分にあると思う」と話した。
■在日の子供も拉致
日本人だけでなく、在日朝鮮人の子供にも北朝鮮の魔の手が及んでいた実態も明かされた。工作員時代に活動をともにしたことのある大物女性工作員は、日本に住むおいに睡眠剤を飲ませて北朝鮮に拉致。同じ年代の別の子供をおいとして日本に送り、日本で教育し、工作員に養成しようとした。しかし、日本での教育がうまくいかなかったため、子供はその後北朝鮮に戻されたという。
北朝鮮は平成14年の日朝首脳会談で日本人拉致を認め、その後被害者5人とその家族が帰国を果たしたが、残る拉致被害者については「死亡した」「入国していない」などとしており、今も多くの被害者が北朝鮮での生活を強いられている。
金氏は北朝鮮が残る被害者を返さない理由についても言及し、「その人たちがあまりにも多く北朝鮮内部の秘密を知っているからだ」と説明。具体的な例として工作員教育にあたった被害者を挙げた。
■4つのピーク
セミナーでは、北朝鮮に詳しいジャーナリストの恵谷治さん(64)や拉致被害者を調べている「特定失踪者問題調査会」代表の荒木和博さん(57)も講演し、拉致問題の全容や今後の課題などについて指摘した。
恵谷さんは北朝鮮による拉致に関し、(1)日本人の被害者が集中した1977年と78年、80年代初め(2)労働力獲得のため韓国人拉致を行った朝鮮戦争中(3)韓国漁船襲撃が相次いだ55~75年-にも拉致が相次いだことを紹介。さらに、(4)北朝鮮に対する有害活動を行った人が狙われた1995年から2000年代と、拉致のピークは4つあったと説明した。
さらに拉致被害者をどう利用しようとしていたかについて、(1)拉致した外国人を洗脳教育で北朝鮮の工作員に仕立てる(2)北朝鮮の工作員の現地人化教育のための教官獲得(3)外国人との混血児をつくり、北朝鮮の工作員にする-という3つの形態を紹介した。
日本人拉致被害者のうち、田口八重子さん=拉致当時(22)=と地村富貴恵さん(58)については、工作員養成機関の「金正日(キム・ジョンイル)政治軍事大学」に入学させようとする計画があったことが分かっている。
恵谷さんは、わずか13歳で拉致された横田めぐみさんについても「ひょっとしたら工作員にしようとしたかもしれない」と話した。
■まだまだ眠る情報
続いて報告した荒木さんは、日本国内の課題を指摘した。昭和53年8月の市川修一さん=同(23)=と増元るみ子さん=同(24)=の拉致事件発生当日に拉致現場で、北朝鮮工作員とみられる不審な男を見たという証言が今年明らかになり、その後次々と情報が寄せられたことを紹介。「まだまだ日本中に山のように情報が存在していると思う」と語った。
調査会では、拉致の可能性を排除できない特定失踪者を約700人リストアップしており、拉致被害者の数は膨大なものになるとみている。荒木さんは「北朝鮮にとっては拉致をやることが当たり前で、やらないことが例外だったのではないか」とみている。
政府の対応の問題点にも言及した。脱北者が北朝鮮から持ち出した写真の男性が、昭和51年2月に行方不明になった藤田進さん=失踪当時(19)=である可能性が高いとされた。家族から写真の提出を受けた警察当局は写真を鑑定していたが、その結果が家族に知らされたのは鑑定結果が出てから8年後の昨年12月だった。
「一体これまで何が起きていたのか。今どうなっているのかを知らせてほしい」。被害者や失踪者の状況、政府の調査状況が気にかかる家族の気持ちを代弁するように、荒木さんはそう話した。
転載元 http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/131215/wor13121510540009-n1.html