2017
09.24

高句麗人(フヨ族)の歴史

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高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。
〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕
見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し歪曲しているのです。
日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる扶余と同じ民族と見られることが多い。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている。但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。
wiki より
上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。
百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人
渤海と高句麗の民族的人種的なつながりは、はっきりとはわからないが、 新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないかとは言われている。 何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から
      楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)
      その後、周の凋落で王を称す?
戦国期   編纂されはじめていた地理書「山海経」に
    「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。
     辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか?
     百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。
     現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。
     このころから辰国は三韓に分かれはじめる。
     馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は
     始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が
     中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀  遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、
     尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。
     先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族?
     新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀  晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。
     百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。
     任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀  任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。
     新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、
     独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年  新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。
     新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。
ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
前12世紀~前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。 箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀~前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀~後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。 百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。 渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀~4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。 百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。
唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、 旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として
半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。 このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。 朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱「朝鮮、属国史」の始まり 918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。
    劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、
    忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。
    李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、
    属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。
    李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、
    アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)
1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。   (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。   (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
     長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
     国内には多くの蒙古軍人が駐留。        (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。              (モンゴル人化)
     反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」
    (半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
     しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年と1598年 秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。
    平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
     しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。
     清軍が、す早く江華島への道を遮断。
     泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)
統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。
東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。
東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国
シンガポール ヤフーとカナダのブリティッシュコロンビア(BC)州政府サイト が韓国関連の誤りを訂正した。
サイバー外交使節団「バンク」は「1週間前までシンガポールヤフーはアジア地図で韓国を中国の領土と表記していたが、5日現在、『韓国領』に是正された」と明らかにした。(略)
『有名教科書と地図「韓国は中国領土」』
英国オックスフォード大の出版社が制作している教科書をはじめ、世界の教育機関、博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、百科事典など総34個の世界有名機関の世界地図53個が、韓国の領土全体または一部を中国領土に表記していることが分かった。
『スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」』スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版
が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
アメリカ大使館「朝鮮に歴史無し。昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書 朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書 「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書 「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書 「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書 「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書 「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが、外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。

これが世界の一般的な認識ということです。