2017
08.31

日本と世界の最新情報(24)

Topic, イスラエル, イスラエル十支族, カルト, 国家神道

(24)天皇家はユダヤのエフライム族の系統を汲んでいる
 平安京を作ったのも全部秦氏である。渡来系一族の秦氏が莫大な財力と高度な土木工事の技術を活かして作った。秦氏がやってきたのは4世紀ごろであるが、その前に徐福に代表されるイスラエルの民が日本にやってきている。失われたイスラエル10支族の一つのマナセ族が中央アジアのキルギスのあたりを通って、中国の開封あたりに行くのであるが、戦乱と迫害の中で二手に分かれる。一つは南下してチベット付近に移り住み、チャン族やシンルン族となり、もう一つはさらに東に行き日本列島に達し、日本人になったと考えられる。だから、これらの人々はY染色体D系統と言う遺伝子で繋がっている。秦氏はマナセ族の血が濃いかもしれない。ほかにはエフライム族の血が入っている。マナセとエフライムは同じくヨセフの子孫なので一緒に行動したのだろうと思われる。だから、日本には、マナセ族だけではなく、エフライム族やその他イスラエル10支族の王家の部族も来ている。神武天皇はガド族の可能性が高い。ヘブル語で「ガド族から来た」と言う意味の言葉が「ミカド」だからである。その後、武烈天皇と継体天皇の間に血統の断絶があり、大和朝廷は大混乱に陥る。しかし、各部族の枠外だった祭儀集団のレビ族が天皇家を継承することで騒乱が収まり、以後、天皇は戦う天皇から神事を行う天皇に様変わりするのである。
 日本に来たイスラエル10支族には、いくつかの波があって、紀元前に第1波の人々が来て、その次に邪馬台国末期頃に第2波が来ている。第1波の人達が物部神道をもたらした。徐福は神道の基になった道教の道士で、祭儀を行う以上はレビ族だったと思われる。第2波の秦氏が来たときは既に神道があった。それが物部氏系の古神道として日本に根付いた。だから、八咫烏はレビ族であり、また天皇家にもなっていったと思われる。秦氏は日本にあった神道を、八幡神社とか稲荷とかの神社を作りながら、あちこちに広めた。ところが、明治政府になり、神社を勝手に減らした為、関東大震災が起きてしまったのである。明治政府が狂い始めたのは神社の合祀をしてからである。「1町村1神社を標準とせよ」と言う運動があった時、真っ向から反対したのが南方熊楠と言う学者である。反対した理由は、祠から鎮守の森まで全部潰されて、自然環境が破壊されてしまうからである。つまり、神社にはそれぞれ意味があって、そこに存在するのであって、むやみに破壊することは日本文化の破壊につながるとみていたようである。
 陰陽道から言うと、「地脈」であり、人間で言えば神経経路である。地中に宿るエネルギーを「龍脈」ともいうし、ヨーロッパでは「レイライン」と呼んでいる。地脈がクロスしているところは、地磁気が狂ってわずかであるが電磁波が出ている。そういうところに陰陽師は結界石(祠)をおき、地の安定を調整した。それが後に神社とか寺院になっていく。どんな小さな祠でも鳥居でも勝手に潰してはならないのである。それが判っているから、熊楠は反対したのである。彼は何度も投獄されるが、結局は彼の言うことが通るが、時はすでに遅しであり、7万社が潰された。約三分の一の神社が消えてしまったのである。それから数年後、関東大震災が起きたのである。地脈本来のエネルギーがうまく流れず、溜まってしまったから、爆発したのである。
 有名な話であるが、羽田空港にあった鳥居を動かそうとしてえらい目にあい、結局、動かせなくなったという話がある。そういうのが判らない人が動かしたがるのである。そういう人たちが、明治維新の時に「国家神道」と言う一種の国家カルト的なものを作ってしまうのである。問題は、富国強兵の中央集権国家を支えるためと言う意味で政治色が強すぎたので、宗教カルト化したのである。日本は「教育勅語」と連動しながら、国家神道を尋常小学校から徹底的に教え、国民に日本不敗論まで盲信させていく。それでは宗教の拡大解釈であり、狂気の沙汰である。だから、カルトなのである。実際、明治生まれの新興宗教を国が承認した結果、一気に宗教カルト化し、それまで日本全国に拡がっていた神社を、国家神道が統合し、まるで血管やリンパ管を通して癌細胞が拡散するように、体中を汚染した。日本は国家神道を掲げ、それまでの古神道、神道を配下に置くことで、強力な国家カルトをつくり上げ、国体に逆らう者は追い出すとまで言って、100%の国民が国家神道の支配下に入り、世界でもまれな宗教的国家カルトが誕生したのである。「靖国神社」そのものには罪はない。日本が道を踏み外したのは、あくまでも神道を政治利用した結果であり、必然的に起きたシステムの暴走だったのである。

 

2014-12-10 日本と世界の情報ブログ